当事者だからこそのメッセージ/LGBTQ

Questioning

 今(いま)将人さん(43)は、損保ジャパンの人事部に所属。障がい者やLGBTQへの理解、活躍推進を担当している。

 体の構造は女性だが、今さんは

 「私は女性ではない。男性でもない。そんなありのままの自分を受け入れてくれる会社はあるのだろうか。」これはそんな疑問を長年抱き続けてきた、ひとりの人間の物語である。

 すべての始まりは保育園で似顔絵を描いた時だ。

 先生が「似顔絵の背景はピンクか青の絵の具で塗ってね」と言った。今はピンクより青が好きだから青色に塗った。絵を見た先生からは

 「男の子が描いた絵だと思った」と言われた。

 大人たちが期待する「女の子」としての自分と、ありのままの自分が違うことに、はじめて気がついた。

 家の近所で戦隊ヒーローのショーがあった。戦隊ヒーローは赤、青、黄、緑、ピンクの5色で、ピンクだけ女。ショーは、ピンクが悪者につかまり、赤の男が助ける内容だった。ショーを観て、「強い男が弱い女を助ける。なら私は女じゃない。自分は今後周りにどう振る舞えばいいのだろうか」という悩み苦しんだ。

 

 男女別が当たり前の日々

 小学校は名簿が男女別だったため、毎日の出席確認が地獄だった。

 〈女子の方で呼ばれる私の名前を聞きたくない〉

 また、仲のいい男の子に、「男のようになりたい」と相談したところ、ガムを地面に吐いたりして、荒々しく乱暴に振る舞えばいいと言われた。だが今は、

 〈私はそれはやりたくない。でも、やらない事が女らしさなら、それもイヤだ。〉

 頭の中はパンク寸前だった。

 中学では、男子が技術科、女子が家庭科と分かれ、苦痛だったが、なんとか家庭科の授業に耐えた。

 そんなこんなで高校生になった。

 健康診断は男女別であり、終了者から各自教室に戻る流れだったが、女子は友達が終わってから戻るのが当たり前だった。男子はひとりで戻っていたのに。

 今は、女子の集団行動を理解できず、友達を待たずにひとりで教室に戻る。男子からは

 「おまえ、女子なのにみんなと一緒に行動しないんだ?」

 女子からは

 「なんでひとりで行動するの?」と言われた。

 女子たちは各々、仲良しグループをつくっており、グループで昼食、トイレに行くのも一緒。名札に、おそろいのシールをはっていた。

 今には、群れる彼女たちのことが理解できずに一人でいたが、心配した教師は、彼女たちに「今をグループに入れてやって」と求めた。余計なお世話だった。

 高校2年のときの三者面談で担任の教師は

 「娘さんは普通じゃありません」と母に言った。

 母は、今が公務員になること、結婚、出産することを望んだ。今は、拒否したが、自分は女ではないとは打ち明けなかった。

 今は、見た目は女だけれど心は女ではないという問題が解決でき、生きづらさが解消できるかも、と期待し、大学で臨床心理学を学んだ。

 しかし、望みは叶わなかった。

 女ではないから、男のように振る舞うしかないと思った。ふくらんだ胸を見られたくなくて、服はサイズの大きめな男物の服。少し猫背になり、ガニ股で歩いた。

 髪の毛は、「女性なんだから」と店員に言われるのが嫌で、自分で短くした。

 就職活動の季節になった。

 

 カミングアウトするも‥

 会社に入りたかったが、女性用のスーツ、ヒールの靴をはじめ、否応なしに女性らしい振る舞いを求められるのが目に見えた。

 就活をあきらめ、大学院に進んだ。研究者に性別は関係ないと思ったからだ。

 大学院で、自分は女ではないと打ち明けてみたが、興味本位で根掘り葉掘り聞かれ、生きづらさが増しただけだった。

 ストレスがたまりにたまり、苦しくて苦しくて、酒に溺れた。アルコール度数が高い缶チューハイを一日で容量45リットルのゴミ袋がいっぱいになるくらい荒れた。やがて身体に限界が来た。めまいで起き上がるのがやっと。

 25歳のとき、うつ病と医師に診断され、アルコール依存症を併発しているとも言われた。

 5年かけて論文を書き上げ、なんとか大学院の修士課程は終えたが、研究者になれるはずもない。

 そもそも生きづらさを抱えたまま、うつ病が治るわけがないのだ。うつ病としての障害者手帳を

取得したのは34歳のとき。悩んだ末の決断だった。支援制度は、生活上助かるし、何より、障害者雇用枠で就職できるかもしれない。

 とはいえ、うつ病とアルコール依存症との闘いは終わらず、毎日に希望が持てない。診断されてからは体調が優れる時に日雇いのバイトで食いつないでいた。

 37歳のとき、医師のすすめで、アルコール依存症の当事者会を訪れた。そこで衝撃的な一言を言われる。

 「このまま飲み続けたら、5年後には寿命が来ますよ」

 

 性自認は違っても、体のつくりは女性。一般的に、女性の方が男より肝臓は小さい。その分、危険がおとずれるのも早いのだという。焦った今さんは、まず断酒した。

 そして自分の痕跡を世の中にどう残したいか、考えた。浮かんだのが、若い人たちに私と同じ苦しみを味わわせたくない、ということだった。精神疾患、貧困、LGBTQの人たちを支援する集まり活動に力を入れた。

 短髪をやめて髪の毛を伸ばした。

 そして、各地で自分の想いを伝えた。

 「私は女性ではありません。男性でもありません」

 多くの人が耳を傾けてくれたが、制限があった。

 たとえば講師として会社に呼ばれる。会社員の人たちは、今の話を真剣に聞いてくれる。でも、それは会社の外にいる「異例な人」が「異例なこと」を話に来てくれたから。自分ごととしては捉えてもらえなかった。

 この経験から、今の中に、身近にLGBTがいる状態をつくらないと、社会の組織は何もは変わらないのではないか。それなら、私が会社員になり企業の考えを変えたい、という気持ちが芽生えた。

 そして、3年あまり前、銀行グループのシステム会社に障がい者雇用枠の契約社員として採用された。

 やっとなれた会社員。この会社で永らく頑張ろうと今は誓った。

 担当は、経営のダイバーシティー推進、とされた。女性、障がい者、外国人……、そしてLGBT。多様性に富んだ人材の活用を担当した。だが自分のことは黙っていた。

 

 研修もむなしく

 会社で、外部講師を呼んでの「LGBT」研修が行われた。今は感想のアンケートを集計し分析、まとめたものを社内に報告。すると人事の部長から呼び出された。

 「キミはLGBTQ当事者なのか?」

 「はい、そうです」

 「そのこと社内で言わない方がいいよ」

 えっ? なんのために研修をしたの?どうして言わない方がいいの?と混乱した。

 さらに、親会社である銀行グループに、パートナーシップ制度があると知り、担当者に話を聞かせてもらった。ところが、事実婚している異性のカップルは支援の対象外。理由を聞くと

 「異性の事実婚は、好きでそうしているのだから助ける必要はありません」

 それを聞いて、今は

 〈LGBTQの人は、私は、かわいそうなの?〉

 親会社の方針がそれなら、現在勤務している子会社も、LGBTQはかわいそうな人、と位置づけていることが容易に想像つく。

 更に、大手銀行グループから来た上司が今に放った「契約社員さん」の一言で退職を決めた。

 私には自分の名前があるんだ!!ひとりの人間として見てないのか?!

 

 退職した後は、障がい者専門の人材紹介会社に登録。ダイバーシティー関連の仕事を紹介してほしいと依頼したが音沙汰なし。登録したことすら忘れかけたが、1年ほどたった昨年2月、紹介会社から連絡があった。それが現在の損保ジャパンからの求人だった。

 面接では今までの経緯や自分のことをすべてを話した。面接の担当者が言った。

 「あなたはすべてを社内で隠さず、むしろそれを強みとし、研修開催、その教材をつくることが可能ですか」

 「望むところです。やります」

 

 ひとりじゃない

 2020年4月、「損保ジャパン日本興亜」から「損保ジャパン」に社名を変更。社員はおよそ2万6千人、日本各地、海外にもおおくの拠点をもつ。

 03年に、女性活躍推進専門の部署「人事部 女性いきいき推進グループ」を創設。大手金融機関では初めてだ。ここから、「人事部 ダイバーシティ推進グループ」に発展し、今は、現在ここに所属、ここ数年、LGBTQへの理解度を飛躍的に深めている。

 15年度に社員向けに理解を進める研修を開始。

 16年度には、採用時のエントリーシートの性別欄に「その他」を追加。会社の方針に、LGBT Qの社員への人権配慮を表明。誰でもトイレ、誰でも更衣室を設置した。

 17年度。アライ宣言カードを作成。

 アライ(Ally)とは、同盟・提携を意味するアライアンス(Alliance)が由来。

当事者であるかどうかに関わりなく、あらゆるセクシュアリティーを理解して支援すると表明する人たちのことを指す。当事者からするとアライですと宣言するカードを持っている人なら、安心して自分のセクシャリティのことを話せる。

 今は、LGBTQへの理解と支援を深めてもらうため、損保ジャパンの拠点へ赴き講演をしたり、動画を作成し社内配信を実施したりと、精力的に活動している。

 社内で自分のことをオープンにすると、さまざまな相談が来るようになった。社員からはもちろん、その家族からも来る。「相談できる人がいません」「信頼できる人がいません」などと。

 今は、

 「悩んでいる方は、たくさんいると思います。でも、苦しんでいるのはアナタだけではありません。そして、大丈夫です。理解者はたくさんいます」

 と、ひとつひとつの相談に丁寧に対応している。会社の中にいる当事者だからこそ、社員やその家族に説得力をもって伝えられる。手応え、やりがいを感じる。

 もちろん、社員の中には、今の存在に戸惑いを見せる人もいるが、理解してくれるはずだと信じている。

 不理解は人権問題である。誰もがありのままに生きて、働ける社会をつくるのは、大人たちが責任を持ってやらねばならない。

 「私は責任の一翼を担いたい。若い世代に、私と同じ思いをさせたくない」

 今は、この会社で、自分らしく働き、そして生きていく。それが、この社会の未来をつくるはずと信じて。

 まだまだ声を上げる人は少ない。こうして記事にする事で、当事者かそうでないかに関わらずひとりでも多くの人に、「ありのままで生きていい」「自分だけじゃない」「違いがあるのが当たり前」

そんな前向きな気持ちになってくれれば、未来は明るい。

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